果て無き妄想話

高校時代から何度か一緒にバンドをやったり、彼のバンドの照明を僕が担当し、一緒にステージを作り上げたりした、Tスクウェアaikoを愛する友人と、現在音信不通になっている。彼とは去年の春にバンドを組んで、何度か練習をしていたが、メンバーの予定が合わなかったりして、誰が言い出すわけでもないまま立ち消えになってしまっていた。
吹奏楽部出身の彼のおかげで、一緒に練習するたびに僕は色々なことを学び取ることが出来た。演奏に対する考え方であるとか、練習のやり方であるとか。と思っていたのだが、今にして思えば、ロクに家で練習していなかったり、あげくの果てに全然曲を覚えていなかったことさえもあった僕に、彼は愛想を尽かしたんじゃないだろうか。
わざわざ高い金を払ってスタジオに入る前に、家できちんと曲のことを頭に入れておくことは当然なんだと思う。バンドで合わせてみて、「もっとこうしたらいいのでは?」なんてのをお互いに考えたりしつつ、どれだけ表現力、完成度(それこそグルーヴィーなものにする、とか)を高めるか、それがスタジオ練習でやるべきことなのだろう。そんな当然の意識が当時の僕にはなかったのだろうな。そんなやつと合わせても楽しくはなかっただろう。もっとうまい奴がいて、好きなことが出来るサークルのほうに行くのは当然だ。ずっとなぁなぁのままやってきた僕には、そのツケが回ってきたのだろう。それすらも気付いていなかった。

一番最初にやったバンドでベースを弾いてくれた先輩は、メンバーチェンジを繰り返しつつも、今も必死にバンドをやっているようだ。最初に彼にしごかれたおかげで、そこそこの心構えは出来ていたつもりだったのだが、甘かったようだ。体育会系なノリは苦手なので、あまりキツイ雰囲気もいやなのだが、それでもやっぱり僕はダラダラしすぎていたように思う。ある時期から「面白い曲をひねり出そうとする」ことに終始してしまい、それがうまくいかなくなったせいで(まぁ生活全般がそれ以上の問題だったけれども)バンドというか音楽をやることを楽しめなくなってしまい、当たり前のことも見えなくなってしまったんじゃないだろうか。そのくせ周りには「こういうの聴け」「こういうの出来るようになってくれ」とか求めすぎてしまい(あまり口には出さない。つもり。で、余計にモンモンとする)、さらにイラだつ自分。結局原因は自分なんじゃん。

曲というものは、むりやりひねり出そうとするものではないと思う。なんというか、自分の表面上の意識と、深層意識みたいなもんの波長があったときに、自分の日頃の積み重ねの中から、外に現れるものなのだと今は思うようになった。今までの僕は、なかなかないような曲をがんばって作ろう、どうしたらいいだろう?変な展開か?コード進行か?変拍子か?なんてことばかり考えていた。ロクに演奏したこともない人間が、いきなりプログレをやろうとするようなもん、か?キチンとした積み重ね(技術、知識、意識)もないのに、ないものねだりしかしてこなかった。周りのちゃんとした人たちに気を取られてばかりで、足元を見ることもせず。多少なりとも以前よりはマシになった今、僕はなにが出来るだろう。とりあえず楽しさを取り戻せたらいいなと思う。音楽を楽しく出来るようになれば、生活だって少しは楽しくなるだろう。それがムリならいい加減やめるまでだ。いつまでもしがみついていたって仕方ない。そんなのはずっと前から分かっている。でも、だからこそ、僕の音楽に対する執着は本物なんじゃないか、なんてこともふと感じる。…という妄想。

今日は、冒頭に書いた友人と僕を引き合わせてくれた(3月なのに雪が降っていた日に、3人で御茶ノ水に買い物に行った)友人と久々に飲みます。

で、飲みました。自己満で終わるのもダメだけど、自己満にも到達しないものを人前でやるのもダメだ、とか言い合いながら。色々グチも聞いてもらえたし、えらく楽しかったです。
最終的には「気楽になんかやりたいね〜」という話になりました。AC/DCやろうか?とかニューオーダーやろうか?とか…なんだこの組み合わせ。でもほんとに気楽に楽しみたいもんですわ、音楽。