愛し愛されて生きてねぇよ秋2005

今日1000円弱で買ってきたばかりのオザケンのライブビデオを見てます。こういう幸せいっぱいな感じの場には溶け込めないだろうなぁと思いつつも楽しんでおります。時代だろうなぁ。隔世の感?なんて。強い気持ち・強い愛、いい曲です。この人の音楽はけっこう自分の中で大きいものだったりする。きっとこれからもっと重要なものになっていく、と思うんだけどなぁ。ムリかな。

知ろうとすることは必要。もっと単純に楽しめたらそれでいいじゃん、って思う人のが多いのかもしれないけど、決してそんなことはないと思う。例えば、服なんて、なんにも考えずに適当なものしか着てなかったら、周りから特別よく見られたりはしないはず。色んなお店や雑誌とかを見て、眼を肥やして、日々センスを磨いて、いい感じに着飾ってる人こそが、おしゃれな人、って見られるわけでしょ、たぶん。それと同じで、いいもんに、ちゃんとしたものに触れて、感覚を研ぎ澄ませていてこそ、いいもんを作り出すことが出来るのだと思う。天才でもない限り。それをやらずになにかを作り出そうとしたって、たいしたもんは出てこないだろう。まぁ、何を「いいもの」と思うか?ってのは人によって違うんだろうが。で、そこの感覚、根底が違う人の作ったものを「いい」と思うってのは、よっぽどのことがない限り不可能だろう。当然の如く。「俺の知ってる○○はこんなもんじゃねぇんだ」とか熱くなっちゃってみたり。ま、それはどうでもいいんですけど。

僕が色々と音楽を聴いてるのは、別に知識を自慢出来るようになりたいからではない。かといって、創作するため、感覚を研ぎ澄ませるために色々手を伸ばしてる、ってわけでもない。安物の棚漁って、掘り出し物を見つけるのが快感だから、ってわけでもない。単に楽しんでいたいからでしかない。はずだ。その延長として、まぁ演奏が出来たらいいなぁ、曲作れたらいいなぁとか思っている、はず。なんとなくそこに行き着いてしまったはず。きっとみんなそうだよなぁ。違うんかな。あー。タモリ倶楽部見てたら何を書きたかったのかわかんなくなっちゃった。一旦終了。

えーと…まぁ、常にいいものに触れて楽しんでいたい、と思うのです。で、出来たらなんか、そういう感覚を共有出来る人となにかが出来れば、楽しめれば、それが一番いいと思うのです。気合い入れて楽しめれば。周りの人もいいものに触れている人だと嬉しいのです。趣味が合う、合わないとかって話ではなく。「曲作ろう」とかってとこに固執する必要はない。と思う。たぶん、あとからついてくるもんだから。僕には実力なんてものはないし、才能なんてものもないかもしれないが、それを引き出そうとする努力もせずに見限ってしまうのも(ほぼ見限っているが)あまりいいことではない気がするので、もう少しはあがいてみようかなと思う。それがどんなもの、形式になるのかなんてのは自分でも見当もつかないけれども。もっと楽しみたい、って気持ちは向上心ってのとは別物なのだろうか?別にいいじゃんね、命掛けて好きなことやって楽しもうとしたって。いや、僕は出来てないっすけどね。たまたま興味の対象がちょっとほかと違うってだけで「おかしい」と思われなきゃいけないってのはなんだかな。そこに優劣なんてのは存在しないはずだ。まぁ音楽がなんかの役に立つとはあんま思わないけど。高尚なご趣味をお持ちでなくてごめんなさいね、人を見下すことばかりが得意なみなさん。

なんか話がずれてきたな。ってか未だにどんな結論に至ろうとしていたのかが思い出せん。ま、もう少しなんとかします、色々。こんな人間に付き合ってくれる人、これからもどうぞよろしく。別のことがんばってる人は、まぁ適当にしっかりやってください。楽しんでください。生暖かく応援してます。けけけ。なんかバカっぽいなぁ…実際バカだからしょうがないか。リアルに恥ずかしい。ま、なんか色々思うこともあるのです、という話。ふぅ。色々あるさな。愛し愛されてはいなくとも、一応まだ生きてるわけだから。仕方あるまいよ。ねぇ。楽しめるようになろ。惜しみない努力。向上心。うわ、ダメそう。