break on through

MOTHER2というゲームをご存知でしょうか。キムタクがCMやってたやつなんですけれども。数日前、これが大好きだったことをふと思い出し、色々とボーっと見ています。犬を足に乗せつつ(当然今も。キーボード触るときは微妙に邪魔かも)。
発売したのはたしか小学5年とかだったかな?ゲームソフトなんて誕生日やクリスマスでもない限り買ってもらえなかった僕は、小6ぐらいになって、ようやく友人から借りて、プレイしていました。親が寝静まった後、部屋(自分の部屋ではない)の電気を消してこそこそやったり。唯一クリアしたことのあるRPGということもあってか、非常に思い入れのあるゲームなのです(ってかほかに思い入れのあるゲームなんてないな)。去年だかにゲームボーイアドバンスで「MOTHER1+2」が出た時なんて、なけなしの金をはたいて、本体とセットで買ってしまったほどです(1は途中で挫折)。
で、色々思い出して感じたことがそれなりにありまして。あれ、ドラクエなんかと違って、設定が現実に近いんです。そこが面白くて(ドラクエの設定とか読むのはけっこう好きだったけど。ちなみにやったことは一度もない)。もちろん魔法みたいなのも使うんですけど、「現実に近い非現実」というか。夢のある現実?映画とかではこれが当たり前の場合がほとんどなんでしょうけど、RPGでこういうのってたぶんあんまないですよね。現実に近いから「死んでしまった」って表現が出てこないとこもいい。「気絶した」なんです。確か。僕らや僕らより下の世代(うちの妹の世代とか。あいつらの言葉の悪さは本当にすごい。ああいうのが「プーさんかわいい〜」とか言ってんだから笑っちゃうよなぁ。あ、なんかおっさんくさいっすか?)はよく「死ね」だの「殺すぞ」だのって言ってますが、そういう部分がないんです。それもある意味「非現実」のように思えなくもないのがなんだか悲しいもんですが。そういった表現の柔らかさというか、子供っぽい、だからこそ大人にも染みる感じ(?)がすごく好きなんです。ユーモアって言葉が一番近いのかな?それが本当に素晴らしい。魅力的なキャラクター、道具(たこけしマシンとか)、セリフ、戦って話を進めていくんだけど、どれもキツさが希薄なのがいい。そんな人間らしい、現実味を帯びている(と同時に現実とかけ離れた、理想)暖かさを感じながら、物語を進め、成長していくわけです。

最初のガンダム(そんなに細かく見てないんですけれども)、エヴァンゲリオンの魅力の一つは、心理描写の細かさだった、ってのはよく言われていることのはず(どちらも元々は普通だった人が主人公なところがマザーと同じ。自分、現実に近いといえば近い。だからこそ、感情移入しやすい)。エヴァンゲリオンが流行っていた中学生の頃、その後オタクな方向に走って行った友人たちは、謎解きとか細かいこと設定とかに没頭していたが(そいつらは大体理系に行ったってのが面白い)、僕はどちらかというと、それぞれのキャラの心の動きのほうに興味があった(一応僕は文系。エヴァの映画を見たときは思いっきり落ちて、ちょっと変になった)。完全に視点が違っていた。
他のゲームがどうなのかはさっぱりわからないが、マザーは、戦って進んでいくことが目的のゲームではないはずだ。ガンダムエヴァだって、ただ戦う部分を描写して、「かっこいい〜」とか、かわいいキャラ出して「萌え〜」って思わせることが目的ではなかっただろう。出来事を通してそれぞれが成長していくこと。キャラクターと一緒にそれを体験した人間が何を思うか。そこに重きが置かれていた。だからこそ、重み、深みがあった。僕はそこに惹かれた。
音楽にしても、「早く弾いてる」とかっていう、ある種の派手なギミックにはほとんど興味がない(もちろん、スリップノットのライブのように、それが最高に楽しいこともあるのだけど。まぁ彼らの場合、「見せつける」ためにやっているのではなく、「ひきつける」「楽しませる」「コミュニケートする」ためにやっているのだから、本質的に全く違うのだが)。その音楽を聴いて何を感じるのか?とかが重要だったりする。そして、なぜそう感じるのか、ってとこから発展して、結果的に「こういう音、曲を作るにはどうすればいいのか」、といった、手法の部分に興味が行く(そしてその手法の部分にばかり固執していたこともあった)。別に誰かのマネをするため(もちろんマネもしてますけど)に音を鳴らそうとするのではなく、自分やその周りがより心地よくいられるようにするために音を鳴らしているのだと思う。そして、よりよい音を鳴らすために、エフェクターを買ったりするのだ。問題は音楽の形態、手法ではない。その先になにがあるか、何を感じることの出来る音楽を鳴らせるか、であって。ま、今まではこんな視点は無かったけど。

ドラッグやって飛んじゃいましょう、とか、向こう側に突き抜けましょう、といったことに全く興味がないわけではないけれど、まぁ当然ながら、そこにはなにもないと思っている。だからこそ僕は「現実に近い非現実」という一つの理想郷に惹かれ、そういうのを感じさせてくれる音楽に惹かれるのだと思う。残酷さは少なければ少ないほどいい。どこか全く別の世界に行くのではなく「よりよい現実」という名の「現実に近い非現実」、少しでもそこに近づければいいなと思いながら、僕は日々音楽を聴き、ちょっと音を鳴らしてみたりしているのだろう。そしてそれはきっと逃避ではない。前向きな行動のはず。そんなことを感じたのでした。

virgin suicidesという映画のラストのパーティーのシーンで、おっさんが「Good-bye,cruel world」とかつぶやいてプールに飛び込むシーンがある。そしてそのおっさんはすぐに水面下から上がってきていた(はず)。結局、まだそんな世界に生きている。


一応、今後の指針みたいなものはなくもない。ので、まぁ周りに求めるもの、ってのもそれなりに定まって来てはいる。問題はそれを上手く伝えられるかどうかかなぁとか思うわけですが、どうなんでしょう。もちろん、ただ模倣をするわけではないし、自分の考えてることだけをやるつもりはさらさらないので(それはただ周りを自分の道具として使うようなもんでしょう。だったらお前一人でやれやって話ですよね)、いい具合に擦り合わせが出来たらいいなぁと思っとるわけなんですが。どうなるんでしょうかねぇ。
今までって何を目指してバンドをやっていたんだろう?曲作ってたんだろう?なんも考えてなかった気がすんなぁ。明確なものって。当時はそれでいいと思っていたんだろうけど、きっとあまりにも焦点のない音楽になっていたんじゃないかなぁ。正直、聴き返す気は起こらないんですけど。うーん。もしまた続けることが出来るようになったとしたら、今までとはけっこう違うもんにはなると思います、はい。良くも悪くもかもしれませんけど。
最初の頃、変にひねることばかりを意識していなかった頃は、一応すごくポップというかベタな曲を作ってたつもりだったんですよね。意図的に。展開とかすごいベタで。コード進行にそこそこのこだわりみたいなのはありつつも。うん。で、今はというと、もっと別な部分に目が向くようになった感があるんです。メロを乗せるってことはちっともやってないんですけど(伴奏なしで適当に鼻歌を歌うことはある。それをちゃんと録音すりゃもう少し先へ進めるのかなぁ)、細かいフレーズなんかはそこそこ出て来てはいます。あとは音色とか含めて、トータルで見たときにどういった感じになるか、うまくハマるのか、周りの賛同が得られるか、そして、完成形の無い理想に近づくことが出来るのか、ってのが問題なんすかねぇ。うーむ。結局はやってみなくちゃわからないか。基本の部分にもう一度目を向けつつ、1からやり直せたらいいなぁと思うのですが。どんなもんなんかなぁ。まぁまずは自分自身か。どれだけ肉付けしたって、根本がダメじゃあそれで終わりだもんな。「バンド」、「生演奏」の面白さを取り戻しつつ、それを「加工する」面白さも付いて来ると嬉しいんですけどね。うまく出来るかな?